2007年2月11日日曜日

映画の歴史/1960年代/日活/大映

==== 日活 ====
大ヒットとなる和製西部劇[[渡り鳥シリーズ]]、[[流れ者シリーズ]]が始まるが、本格的なテレビ時代の到来と日本の映画産業全体の斜陽化のあおりを受けた上に、アクション映画のマンネリ化、企画不足、[[石原裕次郎]]と[[小林旭]]の二大スターの人気低下、[[堀久作]]社長のワンマン体質からくる放漫経営などが次々に災いして1960年代半ばから業績は急激に悪化。その1960年代には[[吉永小百合]]、[[浜田光夫]]、[[高橋英樹]]、[[渡哲也]]、[[山本陽子]]、[[和泉雅子]]、[[松原智恵子]]、[[藤竜也]]、[[梶芽衣子]]、[[杉良太郎]]といった錚々たる新人スター達も生み出したが、退潮を食い止めることは出来なかった。一方、[[今村昌平]]が『豚と軍艦』(1961年)、『にっぽん昆虫記』(1963年)、『赤い殺意』(1964年)などの話題作を連発する。[[鈴木清順]]が『東京流れ者』、『けんかえれじい』(1966年)などのちに再評価も受ける傑作群を残すが、『殺しの烙印』(1967年)に不満を持った堀久作社長により解雇される。このほか、監督では[[熊井啓]]、[[浦山桐郎]]らを擁した。

==== 大映 ====
1960年代に入ると[[勝新太郎]]・[[田宮二郎]]が頭角を現すが、[[長谷川一夫]]・[[叶順子 (女優)|叶順子]]の引退(1963年)、[[永田雅一]]社長によって[[五社協定]]にかけられた[[山本富士子]](1963年)・[[田宮二郎]](1968年)の退社、[[市川雷蔵]]の急逝(1969年)で観客数の落ち込みが深刻になり、永田雅一社長のワンマンな放漫経営もあって業績は悪化。日本初の70ミリ映画『釈迦』(1961年)公開など大作映画路線も数作で終わった。この年代の[[大映]]の代表作には、『おとうと』、『ぼんち』(1960年)、『黒い十人の女』(1961年)などの[[市川崑]]監督作品。『妻は告白する』(1961年)、『卍』(1964年)、『清作の妻』(1965年)、『赤い天使』(1966年)、『痴人の愛』(1967年)などの[[増村保造]]監督作品。『斬る』(1962年)、『剣』(1964年)、『剣鬼』(1965年)などの[[三隅研次]]監督作品など。[[大魔神シリーズ]](1966年)、[[ガメラシリーズ]](1965年~1971年)などの怪獣映画も発表するがヒットには至らなかった。主な人気シリーズは以下の通り。

:*[[悪名シリーズ]](1961年~69年)[[勝新太郎]]、[[田宮二郎]]主演。
:*[[座頭市物語シリーズ]](1962年~68年)勝新太郎主演
:*[[兵隊やくざシリーズ]](1965年~68年)勝新太郎、[[田村高廣]]主演
:*[[忍びの者シリーズ]](1962年~66年)[[市川雷蔵]]主演
:*[[眠狂四郎シリーズ]](1963年~69年)市川雷蔵主演
:*[[陸軍中野学校シリーズ]](1966年~68年)市川雷蔵主演

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